ここまでの基礎を実践していても、検証の期間が予定より伸びていくケースはよく起こります。仮説が浅く、追加検証ポイントが増えた。判断するには難しいインタビュー結果となってしまった。これらは日常茶飯時です。
問題は、伸びた時間の中で「進んでいるのか、進んでいないのか」を誰も判定できなくなることです。本章では、この状態(俗に「ゾンビ化」と呼ばれます)を事業評価の言葉で定義し、予防し、発生を検知し、即対処するところまでを扱います。
ゾンビ化の定義
ゾンビ化とは、止まってはいないが、進んでもいない状態です。会議は開かれ、資料は更新され、検証も一応は動いている。それでも「この事業は続けるべきか」と問われると、誰も答えられない。
「ゾンビ」という俗称ですが、実態はウィルスの潜伏に近いものです。損失という症状はまだ出ていない。しかし気づかぬ間に、健全な探索へ回るはずだったリソースを食い続けている。無症状である以上、見た目の活動量からは見つけられません。
要るのは予防・検知・対処で、これには事業評価の物差しが効きます。
探索中の事業の価値は、売上のような単一の数字ではなく「期待値と不確実性」で捉えます。「3年後に売上◯億」という一点の予測は、探索段階では当てずっぽうと変わりません。悲観・標準・楽観のシナリオを幅で持ち、どのシナリオがどれくらい確からしいかという分布で捉えます。
例えば、課題の検証を終えたばかりの案件は、ある時点でこんな分布を持ちます。この先の検証がすべて成立して大きく展開できるシナリオは、確からしさが低い代わりに期待売上が大きい。手前の検証で止まるシナリオほど確からしく、期待売上は小さくなります。
確からしさの数字は、精密には決められません。チームで仮決めした目安であっても、加重平均を取れば「この案件全体の期待値」を一つの数字として持てて、案件同士の比較にも使えるようになります。
ただし、この期待値はあくまで予測の一種です。
実現できる可能性、手にできるのが何年も先であること、そして判断にたどり着くまでにさらに積む投資が必要、市場シェアの変動などを鑑みると、案件の評価は「積み重なっていく投資を、この分布で回収できそうか」という回収の見込みに焼き直せます。
よって、ゾンビ化はこう定義できます。
投資回収できる見込みが薄くなっているのに、撤退基準がないまま、あるいは、あるのに無視して進み続けている状態といえます。活動の有無ではなく、回収の見込みと基準という評価の言葉で判定するのがポイントです。
検証・検証計画の重要性
こうした定義で振り返ってみると、検証の意味が明確になります。
検証とは、分布の幅を狭める行為です。顧客インタビューで課題の実在が確かめられれば悲観シナリオの確率が下がり、支払い意思が確認できなければ楽観シナリオが消える。売上が1円も立っていなくても、分布が動いていれば事業は前進しています。検証によって判断が進むこと = この分布を更新していくこと、と言えます(事業開発の進め方)。
検証が進むと、手前で止まるシナリオが消えた分の確からしさが残りのシナリオに配り直され、非現実的な上振れも削ぎ落とされます。山は低く寸胴になりながら重心が右へ動き、分布の幅は両端から狭まっていきます。
裏を返すと、検証しても分布が動かないなら、回収の見込みは良くて横ばい、投資が積み上がる分だけ確実に悪化していきます。分布の停滞は、ゾンビ化の最も分かりやすいサインです。
企画段階で計画をしておく意味も見えてきます。
収支シナリオ(工数・単価・市場規模のざっくりした試算)と、撤退基準(何がどこまで確かめられなかったら退くか)は、検証を始める前に言語化しておきます。いざ撤退するかどうかを検討するとき、あらかじめ立てた基準がないと、投じたコストへの未練(サンクコスト)で判断が歪んでしまうのです。
撤退基準を先に立てることは、ゴールを状態で置き、判定ラインを先に決めるという前章までの計画の技術そのものです。検証計画の質が、そのままゾンビ化への一番の予防になります。
ゾンビ化はかなりの痛手になる
損失という症状が出ていない間も、ゾンビ案件は食べ続けています。痛手は3つあります。
まず、方程式の案件リソースをロックし続けます。
ゾンビ案件が占有している人と時間は、別の仮説の検証に回せたはずの総リソースの一部です。派手な失敗と違って損失が一度に顕在化しないため、気づいたときには探索全体の回転が落ちています。
次に、学習が積み上がりません。
もう検証の余地がなかったり、進みようがなかったりするなら、活動を続けても投資は学びに変換されません。
そしてもう一つ、チームの士気と評価を歪めます。
担当チームは「進んでいない」という感触と、続けている以上は進捗を報告しなければならない立場との板挟みになります。進捗がなくても判断基準がなければ「順調です」と言う以外に道がないのです。これは担当者の誠実さの問題ではありません。
1件でどれほど痛いかを、方程式で見てみます。
1つの枠をゾンビ案件が24ヶ月ロックしていると、その枠で本来回せたはずの検証サイクル2〜3回分、つまり出会えたはずの別の案件と、そこから得られた学習がまるごと消えます。どこにも損失として計上されないまま、です。
なぜゾンビ化するのか
これだけ痛手なのに、ゾンビ案件はどの組織でも生まれます。担当者が怠けているからでも、目利きが甘いからでもありません。構造がそう仕向けています。
一番の要因は、取り組み自体が不確実なものであることです。
探索は分からないことだらけなので、「まだわからない」「検証中」などの言葉は常に正です。だから、撤退基準を先に立てていない組織では、継続の理由として無限に使えてしまいます。
それに、サンクコストバイアスも乗ってきます。
検証が進むほど、投じた工数も案件への愛着も積み上がり、「ここまでやったのだから」と回収見込みを考えなくなってしまいます。
組織の力学も、撤退を高くつかせます。
撤退には説明が要り、失敗そのものより「止める理由をうまく説明できないこと」への恐れが判断を先送りさせます。止めた人に得はなく、続けている限り誰も責められない。この損得の非対称性が、ゾンビウィルスを発生させるのです。
どう検知すればいいのか
原因が構造にある以上、担当者の自覚や申告に頼ってはいけません。
渦中にいる人ほど「あと少しで動く」と感じるものです。
仕組みに落とすには、兆候をあらかじめ言語化し、定例のアジェンダに固定します。代表的な兆候は3つです。
- 分布が連続で動いていない — 検証の節目ごとに更新されるはずの期待値の分布が、2回、3回と同じまま。何回続いたら警報とするかは、チームで先に決めておきます。
- 定期的に撤退基準に照らし合わせていない — 企画段階で言語化した基準が、その後一度も参照、更新されていない。
- 活動報告に検証結果や意思決定が出てこない — 何をしたかは語られるのに、どんな検証結果でどんな意思決定をしたか語られない。
そもそも、事業開発というのは「確かな手応えが出てくるほど増やす」という段階的な投資であるべきです。分布が狭まらない(=不確実なまま)なら、投資は減らしていくべきです。
基準の更新か、撤退か、ピボットか
ゾンビ化を検知したら対処をすぐに検討しましょう。
先送りした分だけ投資が積み、回収の見込みは悪化していくからです。
論点は2つです。
一つは、撤退基準そのものを更新すべき事実があるか。
市場の前提が変わった、当初の想定になかったシナリオが検証で見えてきた。そうした基準を書き換える正当な理由があるなら、理由を言語化した上で基準を更新し、次に潰す最大の不確実性を選び直してから探索を続けます。そのまま続けてはいけません。
もう一つは、更新すべき事実がないなら、基準に沿って撤退またはピボットを検討することです。学びを資産として残す終わらせ方の作法は、「事業開発の閉じ方(撤退・ピボット・移譲)」の章(執筆予定)で扱います。
どちらに進んでも、それは前進です。
基準に照らして続ける判断も、基準に沿って終わらせる判断も、分布を動かす営みの一部だからです。停滞は後退です。
評価のタイミング
ステージゲートの審査日にだけ評価と向き合うチームは、審査前に説明資料を組み立て、審査が終われば次の審査まで評価を忘れます。これでは評価はセレモニー化してしまい、審査と審査の間でゾンビ化が進みます。
評価は審査の日だけの営みではなく、日常的な営みです。
検証結果が出るたびに分布を更新し、撤退基準に照らす。それを続けているチームにとって審査は準備のいらない状況共有になり、ゾンビ化は「起きてから対処するもの」ではなく「起きる前に気づけるもの」になります。
まとめ
ゾンビ化対策は、予防・発生検知・即対処の3つで設計します。
- 予防は、収支シナリオと撤退基準を検証の前に言語化しておく検証計画。
- 検知は、分布の停滞と基準の照合を定例に固定する仕組み。
- 対処は、基準を更新して続けるか、基準に沿って撤退・ピボットを起動するかの即断です。
どれも特別な手腕ではありません。ゴールを状態で置き、判定ラインを先に決める。すべての根本となるスキルの手順が、案件の評価でもそのまま効いています。
これで、事業開発の基礎が出揃いました。次章基礎編のテストで、ここまでの理解を確かめます。